㌰クラ雑記

㌰㌰クラゲの雑な戯言です

個々人の言葉の中に無意識に存在する前提や環境について

こんにちは。夏バテで仕事を休んだ㌰㌰クラゲです。 最近本当に外が暑すぎて死んでいます。助けてください。

今日はタイトルのような話です。 先日、こういったツイートをしました。

この話ですね。 なお、この話は科学的根拠に基づいている訳ではなく私個人の主観になります。そこだけご了承ください。

脳には意識している範囲、無意識に決定してリソースを節約している範囲がある

私たちは普段話をしたりなにかを考えたりするとき、必ず意識して考える部分と、脳が今までの経験から当たり前なので考えるのを省略して「そういうもの」として処理しとている部分があります。

例えば自転車に乗るとき、私たちは基本的に「どうしたら倒れずに乗ることができるか」や「右にいきたいのでハンドルをどっちにきったらいいか」みたいなことは基本的にはあまり考えることなくやっていることだと思います。(そういう人が全てではないかもしれませんが)

それよりも、「目的地はどこか」「どこでどっちに曲がるべきか」みたいなことに多くの意識を割いていると思います。 でも、私たちにも、自転車にはじめて乗ったときがあったはずで、その時には、まず「どうしたら自転車に乗れるか」を考えていたはずです。

その時考えたことが今となっては当たり前になったから、そこは脳が無意識にできるようになっているだけで、脳が全くそのことについて考えていないと言うことではないと思っています。

これはまあ、考えてみれば当然の合理的な処理です。毎回ゼロから考えていたら大変ですからね。数学の定理を暗記せず、毎回その定理を導くことから始めるようなものです。 でも、こういった脳のリソースの節約は、無意識に行っていることが故に、自分でも気づくことが難しいです。

会話をするときも同じ

このような脳のリソースの節約は、会話をするときにも同様に行われます。 例えば「自分のような人間が東大に受かるわけがない」みたいな言葉を発したとします。 この言葉の裏には、

  • 東大は学力がなければ受かるのが難しい
  • 自分は学力が低い

みたいな自分や東大への評価や事実が脳内で無意識に前提としてあって、それらの言葉を省いて発言しています。 もっと深く掘ると

  • 勉強するのは嫌だ
  • 今から勉強しても間に合わない
  • 自分は周りのみんなのように優秀ではない

みたいな部分も省略されている可能性があります(あくまで、発言している人の環境や経験に依存します)。

したがって、相手の言葉を正しく理解するには、相手が何を前提としているか、にも気を配ると、より正しく理解する確率が上がります。

そこを解き明かそうとすること

冒頭のツイートで言うように、私はそういった相手がなにか発言をしたときに、その裏に隠れた相手の前提や、環境の条件などを聞くことがあります。 これは、相手が発言した言葉がどういう状況を想定して言っているのかを正しく理解したいからです。

正直、非常に面倒な作業です。確認される側も「いちいちそんなことから説明しないといけないのか。。。?」という気持ちになることもしばしばあります。 会社では、このようなやり取りをしたり、自分は相手は自分が想定している状況を理解していない前提で説明的に話をするので、「お前の話は長い。」と怒られたこともあります。 でも、個人的にはそれをお互いに理解、確認しているかどうかで、その後のその人とのやり取りのスピードは上がると思っています。 「この人がこういう事を言うときは、たしかこういう前提に立っているはずだから、この言葉(指示)はきっとこういう意図だ」となるからです。 もちろん、それが100%うまくいくわけではないですが、ミスったらそのたびに修正していけばいいのです。

全員が同じようにやれ、とは思わない

こういったことに興味を持てるか、エネルギーを割けるかは結構自分の性質によると思っています。 だから、私は「全員これができるようになれ」という意図でこの記事を書いたわけではありません。

ただ、そういうことがある、と知っているのと知らないのとでは、大きな違いが生まれると思います。

多くの会話のすれ違いはこの前提条件や環境設定の違いに由来するんじゃないか?と最近思っています。なぜなら、最初は意味がつながらなかった相手の発言も、 詳しく根気強くこういった話を掘っていくと、腑に落ちることが多いからです。

私達はエスパーではありません。だから相手が意識していない無意識に前提としていることや、その人が話す言葉の完全な意味を100%正しく相手が思ったとおりに受け取るのは難しいです。なぜなら、私達は相手ではなく、過ごしてきた時間や経験、そこから得た学びは全く同じではないからです。これは家族や恋人であってもそうだと思います。

だからこそ、よく聞き、話し合い、お互いが歩み寄っていくことを大切にしたほうがいいと私は思っています。

すれ違いが起こって苦しい時、この点について考えてみたり、話し合ってみるのも、また一つ学びがあるし、相手との関係を深めていく上で良いことなのではないでしょうか。

今日はこのあたりで失礼します。それでは、ごきげんよう