㌰クラ雑記

㌰㌰クラゲの雑な戯言です

近況報告と自分語り

みなさんごきげんよう。㌰㌰クラゲです。いろいろと皆様に混乱を与えており、きちんと釈明したりする必要があると感じていたので、筆をとりました。

近況

結婚について

こちらのツイートの通り、2022/08/10に、付き合っていた彼女(現:妻 @_Yuki_1212 )と、入籍いたしました。

Twitterで数名結婚報告のツイートを見たことがあり、結婚するときはこの写真の撮り方で、俺もツイートしたい~と思っていたので、すごく満足でした。

この日付は、かつて共通の友人から「付き合っちゃえばいいじゃん」と言われて、自分もそこそこその気だったので「じゃあ、付き合うかどうか話をしよう」と呼び出し、「付き合いましょう」と決めた日でもあり、妻(この書き方、まだ慣れませんね)と初めてデートをした日でもありました。

ちなみに、初デートは「てんや」でした。天丼屋の。ファストフード店の。なんでって?「行ったことないから行ってみたい!」って言われたからです。

ちなみに語呂合わせで「鳩の日」なんですが、鳩って平和の象徴じゃないですか。結構良いと思いません?

んで、まぁ、入籍してすぐにお盆だったこともあって、お盆休みの期間を使って、自分の親戚がいる愛知に帰省して挨拶を済ませてきました。「奥さんも、無理がない日程があればぜひ連れてきてね」と歓迎ムードだったのと、「おめでとう!」と言いながら笑顔で思い出話をしたり、酒を飲んだりする親戚を見て、「ああ、人生において、子供(孫)が結婚するって、一大イベントなんだなあ」としみじみしたりしました。

あと、Twitterには長く身を浸しているのもあって、仲良くしてくれる方々からたくさんお祝いの言葉をいただいております。重ね重ねありがとうございます。リプライ52、リツイート6、いいね94、インプレッション数は5,481、エンゲージメントが555、詳細クリック数138、新しいフォロワー1、プロフィールへのアクセス数224と、自分史上最高の数値を記録しております。やっぱりみなさんにとっても結婚というのは一大イベントのようですね。

どうかお祝いしていただいた皆様にも、数多く幸福が訪れることを願っています。

というわけで、これからもよろしくお願いします。

お仕事について

お仕事については、転職することが決定しており、次の職場への準備、現在の職場での後始末などを現在行っている状況です。

あまり詳細は書けませんが、少しづつ進めているので、続報を気長にお待ちいただければと思います。

体調・メンタルヘルスについて

多くの方が心配しているのはこの部分だと思います。ご心配をおかけしており、申し訳ありません。

現在、適応障害チックな状態(診断は降りてません)になっており、正直あまり状態がいいとは言えません。これには複数原因があり、これさえすれば回復する!というものでもないですが、地道に解いていかなければならない作業になります。

この辺の経緯を、時系列順に紹介します。

お仕事:2021/10ごろ~現在

仕事はSEをしていますが、今の職場で当時開発中だったシステムについて、(詳細は省きますが)いろいろなことがあり、マネージャーである「例の人」による影響で、仕事がうまくいかない状況が続いており、コミュニケーションを正しくとるために、その方がわかるように言葉を言い換えたり、背景を説明したりするものの、こちらの話を聞いてくれない状況が(これは現在も)続いており、業務に対する理解もしてもらえず、業務量の調整をしてもらえずにタスクが30以上積みあがっていたり、業務量過多な状態が続いていました(が、残業すると翌日1時間以上の説教があったりしていました)。

一部状況の改善を、上層部に相談しましたが、状況が改善せず、現在も同じような状況が続いています。

プライベート:2021/11ごろ?

妻は実家住みだったのですが、このころ非常に仕事にも苦労していたこともあり、「実家を離れたい、一緒にいて安らぐ私(㌰㌰クラゲ)と一緒にいたい(意訳)」との思いを受け、それまで一人暮らしをしていた1Kの家に、翌日仕事があるとき以外は基本的には泊まってもらうようにしました。

プライベート:2021/12ごろ

そういった生活が続いていましたが、付き合って2年目だし、さすがに1Kの部屋で二人で生活するのは狭すぎる、と思い、新しく同棲する先を探していましたが、この時期に良い物件が見つかり、契約、諸々手続きをしていました。また、引っ越しもいろいろと準備したりしていました。

2022/02ごろ

新居へ引っ越し、諸々の手続きを済ませました。 引っ越しも終わり、本格的に同棲生活がスタートしました。自分の仕事がリモートワークで、妻の仕事が現場仕事ということもあり、家事は基本自分が担当することで合意し、その他いくつか同棲生活上でのルールを決めました。引っ越したら調達したかったものを見繕ったり、今後に必要なお金の計算をして絶望したりいろいろしていました。

仕事のほうは相変わらずうまくいっておらず、深夜残業もちょくちょくあり、業務量の調整は一向にされる気配はないですが、お客様をお待たせしていることもあり、とにかくお客様に最短である程度は満足していただけるシステムを納品するべく東奔西走していました。

2022/04ごろ

性生活の話や同棲し始めていろいろな問題が発覚し始めてきて、よく喧嘩をしていました。話し合いをしたり、時には周りに相談しながら、いろいろ決めたりした記憶があります。

仕事のほうはというと、なんとか品質もそこそこなシステムを完成までこぎつけて、現場の人に使っていただく段階に入れましたので、数日は平和な日々が続きました。結局そのあとまた新しいシステムを作ることになり、忙しくなるわけなんですが。

2022/06ごろ

同棲を始めて、家事の担当を引き受けたはいいものの、妻はもともとが実家暮らしで、一人暮らしを経験していないこともあって、求められる家事のレベルがかなり高く、毎日家事をこなすこと、仕事をこなすことをするだけで(年齢ボーナスが切れてきたのもあり)疲れてしまい、夜は22:00にはもうすでに眠くなってしまい、疲れも取れず、趣味の時間も一人暮らしの時との対比で1/5程度に減っていました。このころから、自分の精神や体調に不調をきたすことが目に見えて増えてしまい、それによって妻に負担をかけてしまうことが苦しく、心労がずっと続いていました。また、以前喧嘩をしたときに言われた言葉が頭にこびりついて離れず、妻にどこまで求めてもよくて、どこからは求めてはいけないのか、妻が気持ちよく日々を送れるようになるにはどうすればいいか、妻は社会人2年目なので、社会人5年目の自分より心理的に仕事の負担は大きいから、家庭では楽にしていてほしい、というようなことを考えてずっと頭を回し続けていました。

また、仕事のほうも「明日までにお願いします」というタスクがたくさん降ってきたり、割り込みで入ったタスクがあっても、もともと持っていたタスクの期限は延ばしてもらえないなどで、ストレスがかなりたまっており、仕事でもずっと頭をぶん回していました。

正直休まる時間がほとんどなく、趣味のゲームに没頭している時が一番頭を使わずに済んでいました。

2022/07ごろ

さすがに今の職場の状態を看過できなくなり、転職をいち早くすることを決定して、ひたすらエージェントとやり取りをしながら、職務経歴書や履歴書の作成、志望する業界や自己分析、書類選考が通ったら即日面接を組み、ほぼ毎日面接がある、みたいな状態でした。この月のGoogleカレンダーを見返すと、今でも気が狂いそうになります。プライベートでもいろいろとぎくしゃくしていたことがあり、心無いことを言って妻を傷つけたりしては自己嫌悪に陥るなど、このころから明らかに異常な状態でした。「いち早く今の状況から抜け出したい」という渇望と、「こんなに自分が不当に扱われるのは許せない」という怒りとに身を任せ、アドレナリンを出しまくり、精神的な不調や体調不良でいうことを聞かない体に鞭を打って、狂ったように走り続けていました。

そして現在

そういったことが続き、「まだ、大丈夫、もう少し頑張ればなんとかなる。この状態は一時的なもので、時間が解決してくれる」とずっと自分をだましだまし走らせ続けてきたのですが、ついに心も体も限界を超えて動かし続けていた反動が来てしまいました。上記の「もう少し頑張ればなんとかなる」も、心の「じゃあ、いつまで頑張ればいいの?」という言葉が日に日に大きくなってしまい、泣き出してしまったり、胃腸炎みたいな症状が出たりで、にっちもさっちもいかなくなってしまいました。

その状態でも、結婚という祝い事についてはうれしいし、素直に喜べたし、当日の皆様からの温かい言葉をいただいて、すごくうれしかったです。体調は死ぬほど悪かったですが。

そして、お盆休みを利用して、私側の愛知の親戚に結婚のご報告とあいさつをしてきました。ただ、ここでも(妻との結婚にかかわることではないところで)少し問題が起こったりして、自分がいろいろとやらなきゃいけないこと(別にやらなくても他の人がやるからいいんだけど、どうしても放っておけなかったこと)が増えてしまい、精神的にも肉体的にもさらに追い込まれる事態となってしまいました。

帰省が終わり、14日の日曜日、帰ってきて、妻とあいさつ回りについて話してお風呂に入り、就寝したのですが、翌日の月曜日の朝、アドレナリンも切れてしまい、頭がまったく働かず、起き上がることすらできない状態になり、寝転がりながら仕事用のPCで一応仕事や会議はしておりましたが、PCを前に呆然としてしまって思うように仕事ができない状態でした。何とか乗り切り、妻と2人の仕事兼趣味部屋を占領して引きこもり、寝たりゲームをしたりして、1日を終え、今日にいたります。

現在までのまとめ

おおむね上記のような状態でしたが、今日は少しばかり体調がよく、明日はかかりつけの精神科を受診しようと思っており、その前に自分のことを整理するためにもこのブログを書くことにしました。気力が最後まで続けば、書ききれると思います。皆様にはご心配をおかけしていて申し訳ありませんが、ご承知おきください。

余談:自分語り(過去と現在)

ここから先は完全に自分の過去や現在の難しい話になるので、読んでいただかなくても結構です。

今回の帰省で親戚と話をした中で、いくつか新しい事実が発覚したので、後学のためにいろいろ考察しておこうと思います。

自分の「他人の感情を推察したり、他人のために動きがちな部分」について

自分には弟が2人いるのですが、両親の話によると、昔から弟のためにいろいろ親を説得したり、ということをやっていたようです。

これらの情報は今まで聞いたことがなく、自分が他人のために動くのは、長期的に、または環境的に他人のために動くほうが結果的にいい方向に働く、という経験による学習の成果(つまり、後天的に得た能力)によるものだと考えていました。ところが、この話は、自分が物心つく前、3、4歳の時には「弟君が泣いてるから、だっこしてあげて」と母親に話をしたり、「弟が笑うことがわかると、その行動を繰り返し行う」ということをしていたそうで、どうやら後天的に得たものではなく、先天的に他人の表情、しぐさから、対象の人間(ないし生き物?)がどう思っているか、快または不快どちらの感情なのか、というのを判断し、不快を減らし、なるべく快を増やす、という行動する能力があったようです。このあたりは、まだ調べたことがなかったので、調べたいと思っています。

ただ、これについて、他人の快/不快がわかるというのは非常に不利に働く場面もあり、自分に対する精神的な負担になっていることもしばしばあるので、最近は努めてそういうことを読み取っても気づかないふりをしたり、自分がわかっていると思い込んでいるだけで実はわかっていないんだから本人の口から何か言われるまでは本当の意味ではわからない、と頭で考えて、自分がそういった部分で精神的に左右されないようにしているのですが、先天的にもしそういう能力があるのだとすると、なかなか対処に骨が折れるなあ、と思っています。

また、同時に「いや、こういうしぐさや表情、筋肉の動き、今までの相手の状況毎の反応を見れば、相手の感情は大体推察できるようになるよ」と数人にアドバイスしてきたこともあるので、この能力を後天的に習得することは、(現実的に不可能というレベル感で)かなり難しい可能性があります。

意外と「言葉に敏感」である

親戚に挨拶をしたときに、自分のことを両親が「まぁ、主夫だよ、主夫」と紹介していたシーンがあったのですが、個人的に結構不快でした。親戚の皆さんが、割と年配なので、家事などをそこそこやる自分の状況を分かりやすいように言い換えてくれていると思っているのですが、リモートワークで仕事をしながら、家事についても多くを引き受ける、しかし完全に全部自分だけで行っているのではなく、妻も仕事をしながら家事をいろいろと分担してやっている、という状況で「主夫」と言われると、あまりにも実態とかけ離れている気がしてしまって、もやもやしていました。状況に応じて言葉を選ぶことは自分もやっていることなので、そこについては全く問題はないと思うのですが、「主夫」という言葉1つだけで、これだけもやもやしてしまう自分にびっくりしました。

振り返ってみると、例の人とのやり取りでも「言葉の定義を説明しているのに、こちら側の説明をまったく聞き入れてくれない」というところにストレスを感じたりしているので、自分は自分が思っているよりも、「言葉に敏感」なのかもしれません。

なんでも否定する人が苦手

これは結構多くの人がそうな気はしますが、例の人や、Twitter、友人や両親、親戚など、いろんな人と話をする中で、7割以上「いや、それは…」という否定から入る方が何人かいます。こういうタイプの方は、過去にいろいろあってまずは否定しておく、というスタイルが染みついているのだと思いますが、私が自分の感情を伝えた時に「いや、それは…」と否定されると、自分の感情を否定されているように感じてストレスになりやすいことがわかってきました。これについては非常に難しい問題で、何でもかんでも肯定すればいいというものでもないとは思いますが、少なくとも私自身が感じたりしたことを否定されるのはつらいなと感じます。こういった方々に「そういうのをやめてください」と言って、直ることは基本的にない(本人がそれで痛い目を見て気づいて自発的、意識的に変えようと思う場合以外では難しい)ので、離れたり距離を取ったりするのが正解かな、とちょっと考えたりしました。

心無い言葉を言われても怒れない、ので、そういう人が集まったり調子に乗ったりする

昔から、自分が傷ついたとしても、相手には傷つける意図はないと信じているので、あまりそういった言動をとがめることはなかったのですが、近年「こういったふるまいをしているから結局何度も心無いことを言われてしまうのでは?」ということに気づいてきており、「傷つける意図がないことは理解しているが、自分は傷ついた」ということを伝えるようにしています。過去の経験上、私が傷ついていることを知らないと、面白がって傷つくような言葉を連呼したり、会うたびに投げつけてきたり、私がその人との付き合いを突然切ってしまったりということにつながっているので、改善したほうがいいかなと思っています。

また、「割れ窓理論」にも通じますが、そういった言動をしている人を放っておくと、同じような言動をする人が集まってきてしまう傾向にあるようにも感じます。なので、私自身を守るためにも、「傷ついた」ということをきちんと相手に伝えることをしたうえで、その人と関係性を継続するかを選択するようにしたいですね。

これまでの生き方と、これからの生き方

一人の幸せを追い求めるわけではなく、結婚して二人(ないしそれ以上の人数)で幸せを追い求めるにあたって、今までは「ある程度自分が我慢してでも、この人の幸せを優先しよう」というスタンスで生きてきたように思います。ただ、これを続けていると、自分が不幸になっていってしまい、自分が不幸になるということは、共に幸せになりたい人を不幸にすることにもつながります。これでは本末転倒です。

ですので、これからは、「私もあなたも幸せになるにはどうするか?」を追求していこうかな、と思っています。あなたの幸せが私の幸せであることは変わりませんが、自分の不幸は相手の不幸であることをきちんと理解して、お互いに幸せになるためにいろいろできたらな、と思います。たとえその時喧嘩をしたとしても、ですね。先の長そうな話ですが、地道に積み上げていきたいです。

他人のお世話をする人生をある程度やめる

先天的に他人の快/不快がわかる、という性質上なのか、振り返ってみると、他人のお世話をしてきてばかりいた気がします。家では親や兄弟のご機嫌を取り、家庭がお金で困らないように外出先ではジュースやお菓子、高い料理などは我慢したり、買っても兄弟に分け与えたり、学校では勉強で躓いている人やいじめられている人を助け、時に自分が嫌われることを覚悟して厳しい言葉を言い、誰かの悩みや相談を解決し、自分より給料をもらっている人の本来やるべき仕事がされていないときは(結果的に自分の給料は上がらなかったですが)自分がそこをカバーする、などです。

散々今までいろんな人に大口をたたいてきましたが、もしかしたら自分が一番、自分の人生を歩もうとしていなかったのかもしれません。自分を大切にすることから逃げて、自分の心の声を押し殺し、他人から頼られているというインスタントな快楽に身を浸し、自分自身は何をしたいのか、どうしてほしいのか、そういったものを考えないようにしていたのかもしれません。

だから、私を頼ってくれる方には本当に感謝していますし、力になりたい気持ちも嘘ではありませんが、今後は自分のことを第一に考えて、断る頻度も増えてしまうかもしれません。もし、それでつらくなってしまうようでしたら、積極的に私との関係を切っていただいて構いません。私は皆様が最も幸せになるためにした選択であれば応援しますし、賛同します。たとえ二度と会わないとしても。

まあでも、知り合いはたくさんいるので、自分では対応できなくても、知り合いにつなぐことはできるかもしれませんね。

コミュニケーションを自分の能力に頼って簡略化しようとしすぎない

自分はまあ、一般的な人間よりも、コミュニケーション能力が高いところがあります。これは、先述の先天的な能力の影響もかなり大きいでしょう。そのため、1を聞いて10を知るのは無理でも、1を聞いて5くらいを推察することはできます。でも、これは短期的には非常に効果的に働きますが、これが常態化してしまうと「この人には何も言わなくても伝わるから、そんなに考えないでいいや」という甘えを相手に与えてしまいます。もちろん、意思が強く、「ちゃんと伝える努力をしよう」と思える人も中にはいますので、そういった方とは常態化したとしても、より高度なコミュニケーションができるようになるので、積極的に取り入れていきたいところですが、世の中の人間の8割くらいは(自分を含めて)そんなに意思を強く持てません。楽をできるなら楽をしてしまいます。

結果的に、私が聞くまで何も話さなくなってしまったり、その人の思っていることを伝える能力が衰えてしまって、私以外の人間とのコミュニケーションに問題が起こってしまったりするかもしれません。その人が自分だけと話をするならそれでもいいのですが、あいにく私はその人の人生を背負い込めるほど、器は大きくありません。その人がその人の人生を自分で歩めるようになるのが、その人にとって一番幸せなことだと思いますので、私には自明なことでも、きちんと相手の口から言葉にしてもらうことを大事にしたいなと思います。

人間のキャパシティについて

今回のぷっつり切れてしまった経験はこれが初めてではなく、過去に何度か経験していました。が、さすがに懲りました。

今まで向き合ってこなかった自分自身の問題に今一度向き合う時が来たんじゃないかな、と思っています。簡単に変わることができるとは思いませんが、自分が生きやすいようになるべく、うまくいく方向に持って行けたらなあ、と思います。

人間には心も体もキャパシティが存在します。それを超えると自分が自分でなくなってしまう限界値。今回はそれをとっくの昔にオーバーしていて、こんな状態になってしまったように思います。そのぎりぎりでやりくりするのではなく、ある程度余裕のある部分でやりくりできるようになれたらいいな、と思っています。

高校時代の鬱について

これはいつか改めて記事にしようと思っていますが、診断をしていただいたわけではないですが、私は高校3年生の冬くらいに、おそらく鬱だったんだと感じています(鬱ではなく適応障害かも)。

2週間くらい水だけを飲んで過ごし、ベッドから起き上がれず、部屋からも出られないみたいな状態が続いたことがありました(その後、ご飯は食べられるようになりました)。幸いにもその時は自由登校だったので、卒業には影響しませんでしたが、受験のラストスパート時にそんな感じだったので、いろいろと悔しい思いをしました。

その時の感覚と、今の感覚が近いので、かなり状況は深刻だと思っています。なので、なんとか回復するための行動をとっていこうと思っています。いのちだいじに。

温めている事業案

高校生のころからずっと、自分なりの(世の中にまだない)仕事を探しているわけなんですが、それが最近すこしずつ見えてきて、こうしたらどうだろうか?みたいなのが出てきました。これがうまくいくのかどうかは、いろいろな実験や分析を経てどうするか決めたいと思いますが、うまくいったらいいなあ、と思っています。それなりに自分がやりたいことともかぶりますしね。

作りたいアプリの話

上記とは別件で、作りたいスマホアプリもあります。こちらも進めたいですが、どう時間を捻出するか悩んでいます。結構業界としては過熱しているので、早めにやりたいんですが果たして…

自分を過信しない

今回の状態になったのは、自分を過信しすぎたところが非常に大きいと思っています。「これくらいなら、自分は耐えられるだろう」を繰り返して、限界を超えてしまった側面は強いです。耐えることは時には必要ですが、それをずっと続けるようなことにならないような対処を怠らないことが大事だと思います。まだ、どうすればいいかはわかっていませんが、うまくやれる方法を探したいと思います。

みなさんも「まぁ、なんとかなるやろ」ということが「なんとかならなかった」となる前に、適宜振り返りをして、現状と予測の差を確認する癖をつけるとよいんじゃないかなと思います。

とにかく休息をとります

というわけで、とにかく一刻も早く復活するために休息します。

ご心配をおかけしますが、よろしくお願いします。

読んでくれてありがとうございました。

P.S. 文字数9950文字くらいらしい、長すぎ