㌰クラ雑記

㌰㌰クラゲの雑な戯言です

岩崎徹也「部下のやる気はいらない」読了の感想

こんばんは㌰㌰クラゲです。

今日は珍しく読了ブログです。タイトルの本を読みました。

部下のやる気はいらない 「一歩踏み出す」からはじめるコーチング | 岩崎 徹也 |本 | 通販 | Amazon

感想

一言でいえば、「自分が経験として知っていることをここまで言語化してくれる本があるのか」という気持ちでした。

それだけではなく、この本を通じて新たに得られた発見や、今まで自分がやってきたことを他人に伝えるときに簡潔に「この本を読め」と言えるくらいの濃密さ、素晴らしかったです。

コーチングをする人だけではなく、コミュニケーションをするすべての人に読んでほしい良書

タイトルでは「部下」という言葉を使っていますが、コミュニケーションをする人どうしであれば、気にしてあげると喜ぶポイントだったりにも応用できていいと思います。

自分も「プロセスを褒める」だったりとか、他人の行動や意識を変えたいときに「どうしてうまくいかないだろうか」「逆にどうしてうまくいっただろうか」というようなことを深掘りしたりだとか、やっていましたが、改めて本にされるところを見るに特殊技能だったようで、結構な衝撃を受けています。まあ、自分もブログでいろんなことを発信しているので、ある程度分かってはいたことなのかもしれませんが。

「盲点の窓」などは、自分がうまくできるゲームを他人に教えるときなどによく指摘していた点でもありました。

そこそこ他人を育てるのがうまいというのは自負があったのですが、それには裏付けされた理由があったのだと自信になりました。

変化した社会、失敗の許されない社会、経験を積みにくい社会で生きていくにはどうするといいのか

端的に書かれてはいましたが、そうなんだろうなと納得感はあります。YoutubeTikTokなどの動画サイトの台頭で、「正解」はたくさん見つかるようになった世の中で、「少ない経験を自分の血肉として活かしていく」必要がある場面は数多くあります。特に、人並みではなく「得意」になるにはよりその重要度が増します。

その中でいかに効率よく自分自身を成長させていくかみたいなことがテーマになってくると思っているのですが、その一つのやり方を提示してくれています。

老害しぐさかもしれませんが)圧縮された動画コンテンツではなく、本という形で出会えたことが良かったなと思いました。

要約することはできるのですが、ここで読んだ気になってしまうと、せっかくの良書のパワーが半減してしまうので、この辺にしておきたいと思います。

自分を変えたい、変わりたい、成長したい、人とコミュニケーションをうまくとりたい、などの人にはおすすめの本です。

あと㌰㌰クラゲが他人と接するときに気にしている点などが気になる方にもおすすめです。

ぜひ読んでみてくださいね。

「他人に興味がない」人について

こんにちは。㌰㌰クラゲです。

今日は「他人に興味がない」という人についてです。

いろんな人と交流のある僕ですが、その中に一定数「他人に興味がない」という人はいます。

他人に興味がありまくりな自分としては信じられないのですが、そういった人たちはいます。

で、そういった方からも人間関係について相談を受けたりするので、その際に話を聞いていて気づいた共通していることをまとめておこうと思います。

簡単なまとめは以下。

先にまとめ

  • 自分から視点を動かすことがない
  • ギブアンドテイクがわからない
  • 自分は無条件によく扱われるべきと考える
  • 一般的な人が複雑な多くの関係の中に生きていることを理解できない
  • 平気で他人のメンツをつぶしてしまう
  • 自分の他者への態度が、他者から自分への態度に影響することに基本的に気が付けない

注意事項

ちなみに、記事の中で何度か「一般的」という言葉を使いますが、僕の記事中での「一般的」=「世の中の多数側のこと」ですので、ご注意を。

共通する問題点

自分から視点を動かすことができない

これは難しい言い方をしていますが、他者の気持ちを想像できない、ということを言っています。

「自分が相手だったとしたらどう思うか」を考えることができないのです。

「他人に興味がない」人は、そもそも自分が何をして、相手が何を思うかは「どうでもいい」ので、そんなことを考える必要はないと考えているところがあります。

なんなら、「なんで私があなたごときのことを考えないといけないのか?」と思っているところすらあります。

よく相談を受けている時は「それって自分が相手の立場だったら嫌な感じに見えない?」とか言ったりしています。

ギブアンドテイクがわからない

人間関係は、いくら恋人や夫婦などの関係になったとしても、もともとは「ギブアンドテイク」によって成り立っていることを理解していない人が多いのも、「他人に興味がない」人たちの特徴です。

もちろん、そのギブアンドテイクの感覚が違いすぎると、そもそも人として付き合っていくことが困難になるので、僕なら離れるか残るかはそういった側面も考慮して決めています。

これは一見、「自分の利益になることをする人としか付き合わない」というようにとらえられがちですが、考えてみてください。例えば、遊びに行くときは、日程や場所をいつも自分が決めている。しかも要望はめちゃくちゃ多くて、自分の家から遠いところばかりを指定してきて、夜は終電近くまで帰らない。会って話をすると自分の話ばかりでこちらの話をすると遮って自分の話をしてくるし、食べる量は向こうのほうが多いのに完全割り勘でお会計をする。そんな人と今後も会おうと思いますか?ということです。僕だったら嫌ですね。それらがあっても、何か別の大きなテイクがあるなら話は別ですが、この側面しかない、となったら離れる選択をします。

ここで例に挙げたような極端な人はそうそういないですが、近しい人はたくさんいます。僕も自分がうれしいことをされたとき、その代わりに小さな相手が喜びそうなことをするようにしています。でも、「他人に興味がない」と、そもそも相手が負担に感じているかどうかは関係なく、自分が過ごしやすいかどうかだけで決めるので、相手に「この人は自分と仲良くしてくれないな。。。」という居心地の悪さを感じさせてしまいがちです。

自分は無条件によく扱われるべきと考える

上記のようなギブアンドテイクの考え方がないので、「他人が自分に常に心地よいことをしてくれないと、相手は自分と仲良くする気がない」という極端な思考に陥ってしまいがちです。

この考え方がより進行すると「自分がうまく相手と友達になれなかったりしたのは、(その前に相手をぞんざいに扱ったのが自分であるのにもかかわらず)相手が私をぞんざいに扱ったからだ」などと、都合のいい解釈をしてしまいます。思い当たる節がある方は、大丈夫です。まだ戻れます。

一般的な人が複雑な多くの関係の中に生きていることを理解できない

「他人に興味がない」人と、継続的に関わっていこうとすると、この点が問題になってきます。僕のような一般的な人は、複数のコミュニティに属しており、友達もそれぞれのコミュニティに存在します。単一の役割としての人間ではなく、別のコミュニティでは別の役割を持った友人、人間としてふるまう必要があります。このようなことは、友人が多いタイプの方からすると当然理解しているものだと思いますが、これがあまりにも複雑すぎて理解できない、という人は結構います。

常にありのままの自分だけでいていい、という場は(一人で暮らしている時を除いて)基本的には存在しません。ある程度の気づかいや、お互いの合意の上で成り立っている人間関係がほとんどです。

「他人に興味がない」人と継続的に関わっていて、その人が所属するコミュニティとは別のコミュニティの人間と関わるとき、その微妙なスタンスの違いを無視した言動を取られたりして、別のコミュニティの人とぶつかり合うことになることもあります。こうなってしまうと、コミュニティを去るか、その原因を解決する(コミュニティのルールを当人に理解してもらう)か、当人をコミュニティに連れてこないか、というようなことにもなりかねません。

自分が今後も継続して関わりたいコミュニティをわざわざ去ることはしないと思うので、原因を解決するように試みますが、そもそも当人は自分が変わる必要性を全く感じていないので、当人をコミュニティに連れて行かない、という消極的な選択をすることになります(結果、友達を増やそうにも友達が増えないことになります)。

平気で他人のメンツをつぶしてしまう

上記で明言したことと被る部分もあるのですが、他者の微妙で曖昧な関係性を気にしないので、その関係性のバランスを崩壊させてしまいかねない危険な発言で、他人のメンツを平気でつぶしてしまうこともあります。メンツをつぶされた側は怒り、メンツをつぶされる原因を作ることになった、「他人に興味がない」人を連れてきた人を責めることになります。

こうなりたくなくて、ますます、当人を他のコミュニティに紹介することが避けられることになります。

自分の他者への態度が、他者から自分への態度に影響することに基本的に気が付けない

一般的な方からすると、当然理解しているか、肌で理解していることだと思いますが、自分の振る舞いが、相手の振る舞いに影響を与えることを全く理解していないことも少なくありません。

例えば、相手は1人の友達として接しようとしているのに、自分が恋愛対象として接しようとすると、衝突が起こり、相手から敬遠されてしまう、ということはよくあります。

ここで、「相手は1人の友達として接しようとしている」という事実を無視して、「相手は自分を敬遠している」「自分は恋愛対象としてみているのに」→「ひどい」となってしまうことがあります。

これはプライドの高さなどにも問題があるとは思いますが、一つの要因に「自分の態度と相手の態度は相互に影響しあう」という事実を、理解できていないことがあると思います。そして、このように相手に興味がないと、「なぜ相手はそういった態度をとったのか」を理解する気がないので、即座に「相手が悪い」と考えがちで、自分に矢印が向くことが少ないです。

自分に矢印が向かうことが少ないと、反省することもできず、今後も改善されないことを示します。いつまでも他人との関係性がうまくいかないまま、孤独になってしまうパターンに陥ってしまいます。

どうすればいいのか

こういった方に、「どうすれば友達が増えますか?」などの相談をされるケースは割と多いです。

しかし、「他人に興味がない」ところを問題点として指摘してもあまり聞き入れらず、別の勝手な妄想にとらわれて、「私はもとからその才能がないんだ」などといった考えに陥っていく人が多いです。

ただ、自分も医者などではないので、そういった人がどうしたら「他人に興味がある」状態になるのかはわかっていません。もしかしたら、精神科などに行くと、手掛かりがつかめるかもしれませんね。

個人的には、まずは「他人に興味を持つ」ことから始めるといいと思います。最初のきっかけは何でもいいです。例えば、ガンプラが好きなのであれば、相手に「プラモデル」について話やエピソードを聞いてみるのも(それがうまくいくかはさておき)面白いですし、料理が趣味なのであれば「普段自炊はするか?」などの話から広げていってもいいかもしれません。とにかく、その人への興味のありなしではなく、その人のある一面で、かつ自分が興味ある分野について、話を広げてみるといいのではないかなと思っています(なんかこの辺の話で1個記事をかけそうなので、まとまったら書きます)。

では、この辺で👋

人を育てることと、自分がやってあげたほうが楽病の引き起こす問題点について

おはようございます。㌰㌰クラゲです。

今日は人を育てるときに、自分がやったほうが早い病が引き起こす問題点について、話していこうかなと思います。

人の成長は遅い

自分も新人教育などを担当したりする中で、当然ですが、人の成長ってそんなに急にガンと伸びることは少なくて、非常に緩やかに成長していくことが大半です。したがって、人の成長を見るときは、ものすごく長い目で見る力が必要になるなあと感じています。

自分がやったほうが早い病

これは自分も罹っている病ですが、「他の人に任せると時間がかかりすぎるので、自分がやる」というようなことを指します。仕事でも家庭でもなんでもそうですね。

また、同じ病を指して、「他人に任せるとその人が苦労するので、かわりに自分がやる」などもそうです。

これら2つの引き起こす最悪の結果

これら二つ、つまり、人を育てる場面で、「君に任せていると時間がかかりすぎるから自分がやるよ」とか「これは大変だから自分がやるよ」ということをやっていると、結構悪いことが起こります。

それは、 「自分がやってしまうので、任せるための育てるべき人の育てるべき資質が育たなくなってしまう」 という点です。

自分のやっていることを任せたりするために人を育てているのに、これでは本末転倒ですね。

特に後者は、一見優しさに見えるだけに、やってしまう人も多いのではないでしょうか。

では、これを防ぐにはどうすればいいのでしょうか?

覚悟と厳しさと責任を持つ

防ぐためには、「本人のためになることは、恨まれてでもやらせる」という 強い覚悟と厳しさ 、そして、 何かあったときには自分が責任を取るために、責任を持つ事 が必要です。

無責任に任せて、後始末をしない人間は信用されません。よく「面倒な仕事だけ投げてきて、自分は遊んでいる上司」などと揶揄されることも多いですね。こういった振る舞いをしてしまうと、信頼を失うことになってしまいます。

そして、「恨まれてでもやらせてみる」という覚悟は必要です。大変なことを任せると、自分は教育のために任せたのに、本人からは「こんな大変なことを任せやがって」と恨まれてしまうこともあります。でもこれはそういうものなのです。恨まれたくない気持ちは僕も痛いほどわかります。特に八方美人なタイプの人なら尚更です。

でも、人を教育する、育てるというときには、時としてこういった覚悟が必要な場面があります。

自分が恨まれてでも、結果的に本人の力になる行動を遂行する。そうすることで、自分の手は離れてしまうかもしれませんが、その人が自分で生き抜く力のようなものを手にすることができることでもあります。子が親離れをするように、親も子離れをするように、育てる側も育てた側から離れることも重要なことなのです。

今まで大変なことがあった人たちへ

大好きな人から酷い扱いを受けて傷を負った方もいるかもしれません。でも、もしそれが自分がこの先生きていくために必要なことを教えてくれたのだとしたら、こういった葛藤が傷つけた側にはあったのかもしれません。そういったことに思いを馳せながら、今一度、自分の過去を振り返ってみるのも、偶にはいいんじゃないでしょうか。

ではまた👋

呪術廻戦のセリフから学ぶ「打算や計画を捨てることの重要さ」

こんにちは、㌰㌰クラゲです。

今日はタイトルの通り、打算や計画を捨てることの重要さについて気づいたので、ここに書き残しておきます。

病んでいた

先日非常に病んでいました。なぜ自分がこんなに苦しいのに、頑張らなければならないのか。

鬱を患ったのに、それを押してまで家庭で頑張り続けないといけないのか。

こういったことを呟いたら、周りの人に「いや、お前は頑張りすぎてるんだから休めばいいんだよ」だとか「もっと自分を大事にすることが相手を大事にすることに等しいんだよ」だとか、そういった温かい言葉をいただきました。

僕自身、これらの言葉が間違っていなく、なんなら正しいことはわかり切っていました。

でも、それを実行に移すことができない。頭ではわかっていても、身体は動いてしまい、休めない。そんな状態に、絶望的な気持ちになっていました。

導き出された一つの結論

「言葉を選ばずに自分の気持を言葉にすればいいんじゃない?」という親友の一言をきっかけに、ふと、思い当たるフシがありました。

自分何かを言うとき「相手はこの言い方をされて傷つかないかな」とか「僕が歳上だからしっかりしなきゃ」とか、そういった気持ちがあり、自分の感情に素直に言葉を紡いでこなかった事に気が付きました。

「感情に支配されることは悪いこと」という自分の信条も手伝って、自分の感情を無視して、相手のことを第一に考えてきた経緯がありました。

これらは、言ってしまえば「相手を傷つけると、後々自分に回ってきて面倒なことになるから先に潰しておきたい」という、計画とも打算とも呼べるものでした。

自分は常に何かを先んじて考えており、それを元に自分の行動や言動を決定しているところがあります。

これは、リスクを最小限にして、結果を最大にする上では結構重要なことだと自分は認識しています。

ただ、人間は常に合理的な生き物ではないです。ときに不合理な感情や考えを持つものです。

常に合理的に生きようとすること自体が、自分の首を絞めているのだと気付きました。

呪術廻戦、宿儺の漏斗に対する言葉

妙に頭に残っていたので大体の方向性はわかっていましたが、改めて呪術廻戦を読み直しました。

14巻で、宿儺と漏斗が戦う中で、宿儺が漏斗に放った言葉が以下です。

オマエは焼き尽くすべきだったのだ。打算も計画もなく手当り次第。五条悟に行き着くまで、未来も種もかなぐり捨ててな。理想を掴み取る”飢え”、オマエにはそれが足りていなかった。

この言葉を自分は以下のように解釈しました。

理想を掴み取るには、打算や計画などを一切度外視して、ただがむしゃらに動くことだって必要だ。”飢え”ているならば、どんなことだってできるはず。それができないのなら、理想に届かなくても無理はない。

この解釈はおそらく、一定程度正しいと思っています。宿儺は本当に手がつけられないほど強いですが、その地位に至るにはおそらく多くの苦労があったと思います。宿儺でなくとも、今現在現実世界で活躍している方々にも、きっとそういった苦労はあったはずです。そのときに、「未来はどうだから」だったり「これからはこうだから」という未来予測を悠長にやってもうまく行かないときはあると思います。ひたすらに行動することだけが正解のとき。宿儺は、漏斗に「オマエにもそういう時があったのに、行動しなかったことが良くなかったのではないか?」と諭しているのです。

自分はどうか?

翻って、自分はどうでしょうか?今現在がその時なのではないか?と思い至りました。

相手のことを考えたり、先のことを考えるよりもまず、自分の感覚、本能、感情にしたがって、ひたすらに行動していくこと。それが今の自分には必要なんじゃないか?ということです。

幸いなことに、Twitterではそういった行動のきっかけは見えています。あとは覚悟を決めて、行動するだけ。

でも、怖い

しかし、これは怖いです。今まで自分が信じてきたものと違うことを信じて突き進むのだから。でも、この機会を逃したら、同じことを理解するチャンスは二度とないのかもしれません。

みなさんへ

だからこそ、果敢に挑んでいきたいと思います。僕を応援してくれる皆さんには見苦しい姿を見せることになるかもしれませんが、どうか僕の新しい挑戦を、温かい目で見守っていただければなと思います。

そして、これから挑戦しようとしている方は、僕のことを見て「こいつも頑張ってるし、いっちょ自分も頑張りますか」となってもらえたら、僕にとってこれほど嬉しいことはありません。あなたと一緒に、挑戦する仲間として頑張りましょう。何かあればいつでも相談に乗ります。時間の都合は調整がいりますけどねw

きっと何か新しい発見をしてきます。その時はまたブログにまとめますので、ぜひ読んでくださいね。

もう一度、宿儺の漏斗に対する言葉を振り返って、打算や計画を捨てることの重要さを再確認しておきましょう。

オマエは焼き尽くすべきだったのだ。打算も計画もなく手当り次第。五条悟に行き着くまで、未来も種もかなぐり捨ててな。理想を掴み取る”飢え”、オマエにはそれが足りていなかった。

では、今回はここまでで。👋

話の種類について

こんにちは。㌰㌰クラゲです。

先日こんなツイートをしました。

違いが分かって説明できるかのアンケートを行った結果がこちらです。

最終的に25票集まり、うち6票が「なんとなくわかるが説明できない」、1票が「わからないし説明できない」となり、意外と「話」について理解していない人も多いのかなと思って、この記事を書くことにしました。

話には種類がある

一般的に会話をする意味で使われる「話をする」ですが、その中には細分化するといくつかの種類があります。

これらは、日常的に使われている分、あまり改めて意識することはないことですが、ビジネスの現場に出たりすると、その違いをしっかり判別して使わないと、途端にお互いの話がかみ合わなくなります。

特に重要だと思われる種類を以下に挙げます。

  1. 提案
  2. 説得
  3. 振り返り
  4. 謝罪
  5. 意識のすり合わせ
  6. 話し合い

これらを少しずつ、具体例を交えながら説明していきます。

提案

まずは提案です。提案とは、何かしらの意見、案を提示することを示します。

例えば、仕事で不要な書類を作って廃棄していて、紙が無駄になっているとします。ここで、上司に対して「この書類は作っても廃棄しているので無駄になっています。もとから作らないほうが良いのではないでしょうか?」というような感じです。提案の際には、その根拠となることを示すとわかりやすいと思います。先ほどの例で行くと「この書類は作っても廃棄しているので無駄になっています。」が根拠です。その後の「もとから作らないほうが良いのではないでしょうか?」が提案です。

説得

説得とは、俗に言えば「説き伏せること」です。相手に自分の主張を納得してもらうために行います。

例えば、結婚するにあたって、彼女の父親から「お前に娘はやらん!」といわれているのを「どうやってお義父さんに賛成してもらおうか…」と考えてやるのが説得です。重要なのは、 あらかじめ自分の導きたい結論が決まっていて、そこにどう漕ぎつけるか 、という点です。話をしていてよくあるのは、「話し合いをしてるんだけど、なかなか彼女が折れてくれなくて…」と言っているパターンがありますが、自分が妥協することを許していない点で、これは話し合いではなく説得になっている、みたいなパターンがあります。「話し合い」については後述します。

振り返り

振り返りとは、過去のできごとについて、改めて目をやり、改善点などを探すことを言います。

例えば、夏休みの宿題を夏休み中に終わらせることができなかった子供がいるとします。その子供と一緒に「なんで宿題が夏休み中に終わらなかったのかな」「ちょっと遊びすぎたのかも」というようなやりとりをすることです。重要なのは「過去のこと」に目を配り、未来に活かす改善策を探す点で、元から未来に対して目を向けているものを振り返りとは言いません。

謝罪

次に謝罪です。これはよく聞くので誤解されている方は少ないと思います。謝罪とは、何か問題を起こしたことについて責任がある人が、その問題を引き起こしたことについて謝ることです。

重要なのは、再発防止策を講じるのは「謝罪」ではないというところです。再発防止策を講じるのはあくまで提案であり、厳密には謝罪には含まれない点にあります。ただ、現実的には再発防止策を講じるのがセットになるケースがほとんどです。

例えば、友達との待ち合わせの時間に遅れた時に、「遅れてすまん」と謝ることが謝罪ですね。

意識のすり合わせ

意識のすり合わせは、基本的に生活している中では聞くことはめったにありませんが、ビジネスに身を浸しているサラリーマンなどには馴染みのある言葉なのではないでしょうか。

意識のすり合わせとは、お互いが現在の状況をどう捉えているかの認識を確認しあい、お互いの認識を一致させることです。

例えば、夫婦の共同の家計を管理している妻から「今月飲みに行きすぎなんじゃないの?今月はもう5回も飲みに行ってるよ。」と言われたときに、夫が「でも、7月には10回行ってたんだから、これでも半分しか行ってないよ」という返答をしたとします。お互いに主張が食い違っていますね。この中で、妻側は「飲みに行く回数が多いので、家計を圧迫している」という認識がありますが、夫は「自分は前により多くの回数行っていて、その時に許されているのだから、今回も許されるはず」のような認識がある状態です。ここで、夫婦で家族会議を開き「家計を圧迫していること、以前は許されたこと」を共有し、お互いに相手の認識を理解することで、「夫は以前許したから今回も許されると思っている」「妻は家計が心配だから今回は注意された」という現状を、 お互いに 認識しあうことになります。これを「意識のすり合わせ」と言います。

話し合い

最後に話し合いですが、これは多くの人に使われている上、それぞれによって前提としていることに違いができやすい言葉でもあります。ここで紹介するのは、私なりの解釈になりますが、結構当たってるんではないかと思っています。

話し合いとは、お互いに主張をして、お互いの妥協点を探して着地させることです。重要なのは、どちらか一方が妥協するわけではなく、 お互いに妥協する という点です。片方をどうやって妥協させるか、ということになると、「説得」になってしまい、「話し合い」とは言えません。お互いの主張をお互いが聞きあい、そしてお互いが変化することが必要です。

例えば、修学旅行で同じ班のクラスメイトと、「修学旅行で京都を回るときに、どこを回るか」を話し合うとします。この時、あなたは「有名な観光スポットを全部周りたい」という主張があるとします。一方もう一人は「有名なお菓子を食べ歩きたい」という主張を持っているとします。ここで、お互いに主張を聞きあい、最終的に「清水寺は最低限回るけど、そこの近くにある金平糖屋さんには最低限入ろう」とお互いに妥協しあうことが「話し合う」ということです。あくまで、「私の意見を採用するか、あなたの意見を採用するか」 ではない ところがポイントです。どちらの主張も満たしつつ、どちらも同じくらい我慢してもらう、こういった話のことを指します。

所感

今回のアンケートでは25票しか入りませんでしたが、自分の肌感覚では、もっと多くの人が違いを分からず、今はどの話をしているのかわからない、みたいな状況が結構頻発しているように思います。特に話をするときは無意識的にこれらを流れで切り替えているため、なかなか自分でも意識していないことが多いです。

コミュニケーションがうまくいかないことの多くは、前提が共有されていなかったり、お互いに誤解をしているケースがほとんどです。それらを解消する1つのてがかりとして、今回の記事を思い出していただければなと思います。

ではまた👋

gitの情報をプロンプトに出す

WSLのLinuxbashの場合

git/git-prompt.sh at master · git/git · GitHub

ここのやつをローカルに持ってきて編集して、指定の場所に .git-prompt.sh という名前で置く。

併せて .git-compeletion.bash も持ってくる。

なお .bashrc に追記する部分は

# enable git-compeletion and git-prompt

source ~/.git-compeletion.bash
source ~/.git-prompt.sh

# customize prompt and to show current git branch into current directory zone
# \[\033[01;32m\]\u\h -> user-name and host:
# -> [01;32m\] is font and color (01 = normal font + bold, 32 = green)
# \[\033[01;34m\] \w -> \w current directory:
# -> [01;34m\] is font color blue for current directory (34 = blue)
# \[\033[01;31m\]$(__git_ps1 "(%s)") -> git branch info (import from ~/.git-completion.bash and ~./git-prompt.sh):
# -> [01;31m\] is font color red for git info (31 = red)
# \[\033[01;33m\]\$ -> show shell is turning on (like # front of command):
# -> [01;33m\] is font color yellow for # (33 = yellow)
# \[\033[00m\] is for command zone (maybe 00m is command not to apply any color)

export PS1='\[\033[01;32m\]\u@\h\[\033[01;34m\] \w \[\033[01;31m\]$(__git_ps1 "(%s)") \[\033[01;33m\]\$\[\033[00m\] '

を参照されたし。

今年の抱負の中間報告

連続ですみません。㌰㌰クラゲです。

ずっと今年の目標なりをツイートを遡ったりして探していたのですが、見つからず、「今年って目標たてなかったっけ…」となっていたらありました。

picopicoclage.hatenablog.com

記事にしてたんですね(驚愕)。

では振り返っていきましょう。

運気

運気の話が出ています。この辺は思い当たる節しかないです。運気超絶下降気味です。。。苦労もめっちゃしてます。ひええ。

ただ、この時の書き方からすると、結構劇的な変化があった割には、冷静さはまだ失っておらず、きちんと適応できているように感じます。

まぁ、一部うまくいかなかったこともありますが。。。

とはいえ、自分の成長にびっくりです。

大枠の目標

「学びの一年にする」との話ですが、これはめちゃくちゃ今時点でも達成できています。日々新しい情報に触れ、自分でいろんなやり方を試行錯誤し、実際に結果を評価していろんな知識を得ています。

エンジニアとしても、人としても、かなり自分の能力や視野の向上を感じています。また、自分の性格についてやバイアス、癖などについても日々発見があります。学びになっているのは非常にいいことですね。あと半分ないくらいの4カ月、キープしていきたいところです。

細かい数値目標

  • 2か月に1冊は本を読破すること

これは達成できていませんね。9カ月の間に読んだ本は今のところ5冊で、読了したのが、ときどさんの「論理は結局、情熱には敵わない」と、cluster社の社長、加藤さんの「メタバース~さよならアトムの時代~」しかないことを考えると、少しペースアップして読んだほうがよさそうです。ただ、読みたい本は一生溜まっていく一方で。。。困ったもんですね。手を付けてるのはあと3冊あるので、これらを読み終わるまでもっていけばまだ間に合いそうです。

これも未達です。そもそも勉強していない。さすがに教科書を買うべきですね。ここで買う教科書を上の読んだ本の数に加えてもいいですよね。。。

  • 生活における重要な部分(特に数字などの具体的なもの)を電子化、可視化すること

これは割とできています。家事を一覧で表示して、いつやったかをわかりやすくするための仕組みなどを作りました。二人暮らしにおいて、重要そうな家計簿などもすべてGoogleドライブ上に構築して管理していますし、書類や説明書なども、少しづつアップロードしています。まだ無料プランで問題ないですが、今後家族が増えたり、Googleドライブをメインに使っていくことになると、課金もやぶさかではないですね。

  • スマメイトレート1600を達成すること

これも未達です。そもそもスマブラがうまくなれていない現状と、スプラ3に浮気しています。そろそろ本気でスマメイトに取り組んで、とりあえず1シーズン100戦はしたいところ。

  • スプラ2で、全ルールXを達成すること

これは達成できました!大体2100~2200くらいのレートで落ち着きました。今はスプラ3にて、S+を目指して頑張り中です。

  • 1曲歌ってみた動画を出すこと

これはまだできていませんが、下地は作りました。あとは、機材をもって録音して、編集する部分ですが、時間の関係でまだできていません。これは今年中には無理そうなので、4月くらいまでにできたらいいなと思っています。みんな、見ていてくれ(CV.マルス)

達成済みは2/6、持ち越し予定が1/6、取組中が1/6、そもそも手を付けていないのが2/6となっているので、半分くらい達成できたら御の字かもなあ、という気がしてきましたね。

これ、3カ月に1回とか振り返るべきだなあ。来年はそうします。

さいごに

抱負の達成状況はこんな感じでした。

継続して頑張っていきたいと思います。👋